Mさん(2013年 京都薬科大学 合格 同志社高校卒)

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私が受験勉強を始めたのは、試験の3ヶ月前。なんとなく行ったオープンキャンパスで、内部進学への意志が揺らぎました。ここに通いたいという気持ちが生まれた、というより、ここに通うということが、驚くほど自分の中でストンと納得できました。

受験するというと、親にも先生にもかなり驚かれました。なかなか難しいとも言われました。当然の反応です。なにしろ、残された時間は3ヶ月。親からは、成功率は分五分だ、浪人覚悟で受験しなさいと言われました。それでも、受験したいという決意は揺らぎませんでした。

可能性があるのは、受験科目が英語と化学Ⅰ、そして面接のみの一般公募推薦。英語は高1の頃から、内部で大学に入っても外部から来る人たちと同じように勉 強 できるように、と受験対策と同じようにコツコツ勉強していました。なので、今まで全く手をつけてなかった化学Ⅰをすぐに勉強し直し、単語をひたすら強化す ることを始めました。覚えることのあまりの多さに、やる気も失せかけましたが、予定よりも時間はかかりながらも、なんとか終わらせました。

けれども、試験1ヶ月前。少し形になった学力で英語の過去問を解いてみて、一気に現実を突きつけられました。合格最低点には到底届きそうにない点数だった からで す。かなりショックでした。現実のあまりの厳しさに、逃げ出そうともしました。けれど、逃げても現実は現実です。大学のパンフレットを見るなりして、自分 の選んだことを再確認し、なんとか、もう一度勉強に向き合おうと思えました。

それから、学校の中間考査を終え、試験まで2週間と少しのあたり。今度はもっと本格的に過去問を解き始めました。しかし、英語、化学、共にまだ最低点に届きません。

この時は前回以上に落ち込みました。もう時間がない。あと2週間しかない。もともと無謀な挑戦だったんだ。もしかしたら、もう無理かもしれない、と思いました。

でも、落ち込むとこまで落ち込んだ時、ふっとこういう思いが浮かんできました。落ち込むことも私には許されないんじゃないか、と。2週間しかないんじゃな く て、2週間も、ある。自分にできることはなんだろう。そう考え始め、できることを時間の許す限りやろう、と思いました。

それからは、もう必死でした。無我夢中で点数をのばすことのみ考えました。最後の1週間で、英語はやる予定のなかったデータベースを更に1冊覚え、過去問をとりあえず何回も繰り返し解きました。化学は、参考書に書いてある事をひたすらまるごと頭に入れました。

試験日2週間前の模擬試験は、緊張しすぎて、手応えも何もありませんでした。ずっと後で、その時の模擬試験の判定がE判定だったことを知るのですが、当時 は とりあえず、緊張するとダメだと分かったことがこの模擬テストの成果だと考え、テストへの気持ちの持っていき方を考え直しました。

そして、試験まで1週間と少しあたりのこと。なぜか英語の長文がすっと分かるようになっていました。若干の期待が私の胸に生まれました。でも、正直、過去問を繰り返し解いていたため、初見の文章は読めるか分からなかったので、不安も未だ根強く残っていました。

そんな状態で迎えた当日。実をいうと、あまりよく覚えていません。とりあえず、ニコニコして、どうでもいいことを考えたり、言ったりしていたように思いま す。不思議と、同じような受験者を敵だという風には考えませんでした。みんな私以上に緊張してるんじゃないか、と思うと、むしろ仲間とか、同志だとかと思 えてきたからです。そう思うと、必要以上に緊張することはありませんでした。なので、あとはただ集中することのみを考えました。

今、私の手元には合格通知書と入学許可書があります。でも、実物を目の前にしても、いまだ合格できたことが信じられない、実感がまだ湧いていない、という のが、試験から 1ヶ月以上たった今の正直な気持ちです。ほんとに、不思議なことだと自分でも思います。3ヶ月で受験に成功するなんて、一般的には考えられないことだとも 思います。でも、それほど、集中することや勉強の濃さというのは大切なんだと思います。

また、先生方にはたくさんご迷惑をおかけしたと思います。 普通の予備校では3ヶ月前に受験を決意しても頭ごなしに無理だと決めつけられ、無意味なことはするなと挑戦することも許されなかったのではないかと思いま す。こんな信じられないような結果が出せたのも、支えて下さった皆さんのおかげだと思います。ありがとうございました。

Mさん(2013年 京都薬科大学 合格 同志社高校卒)のお母さん

「育星舎との出会いは8年前・・・」

育星舎との出会いは8年前、娘が中学受験を考えたときでした。

常に塾生同士がライバルでピリピリした空気の漂う大手塾には合わず、娘は入江塾で3年間お世 話になりました。アットホームで和やかな雰囲気の中でのびのびと過ごし、無事(いわゆるエレベーター式に大学まで行ける)D中学校に合格できました。

再び、育星舎を訪れたのは娘が高校1年の秋でした。自由自立をモットーにされているD高校では学習についても生徒任せといった感じでした。あまりに自由で どうすればいいのか分からないうちに成績が下がり始めましたので、再度懐かしの育星舎にお世話なることになりました。その時、先生とお話したのは「いずれ 内部推薦で進学するであろうD大学は関西でも名門私大です。外部受験生と内部進学生との学力の差はかなりあります。最終的には外部受験生と同等の学力を身 につけて行きましょう。」という目標でした。

ただ、娘はクラブ活動に没頭し、毎日練習、休日は試合という日々が続いていました ので、通塾は週1~2回のペースで定期試験の前に集中して学習するというスタイルで高校3年春まできました。どうしてもクラブ中心の高校生活だったので、 受験生と比べると学力は・・・。内部推薦で進学するのだから、焦らなくていいけれど、クラブを引退してから少しは勉強するかしらなんて思っていました。

不器用な娘は夏にクラブを引退し、ようやく将来のことを色々と考え始めたようです。「引退して、暇だから毎日塾に行くわ!」と言いだしたのは7月。娘は好んで毎日通い「キャンパスに行くと自然に勉強しようという気になる」とよく言っていました。

そして8月、京都薬科大学のオープンキャンパスに行った日、娘の心は決まったよう です。ただ私たち周りの者は慌て戸惑いました。受験勉強をしていないのに、せっかく内部推薦で大学に行けるのに、それを辞退して何の保証もないのに受験を するなんて!しかし、本人の意思は固く、京都薬科大学に行きたいと言いました。

8月末頃、先生に相談に行きました。先生も本当に驚かれていましたが、最終的には 「内部推薦を蹴るのは確かにもったいない気もしますが、本人の意思を曲げて進学させてもね・・・3ヶ月は短いようですが、長いですよ。取り組み方次第で力 はつきます。」と言って下さいました。そうです。娘の人生ですから、悔いを残してほしくはないのです。そしてやっと受験にGoサインを出しました。

それからの娘の学習態度、集中力は目を見張るものがありました。毎日、学校からV キャンパスに直行し、夜の10時まで勉強していました。10時過ぎに勉強を終えて出て行きた娘の顔は引き締まっていて、クラブの試合でいい結果を出す前の ような表情をしていました。「もしかすると行けるかも!」私もそう信じて毎日迎えに行きました。特に最後の2週間のラストスパートは素晴らしくどこにそん な力を秘めていたのかと驚き、また誇らしくもありました。この3ヵ月、その集中力を維持し続けられたのは、やはりVキャンパスのおかげです。

今思い返せば、高校1年から学校での学習内容に加え、高校生として必要な内容を学 習するよう指導して下さったので、このような短期決戦でもなんとか合格する事ができたのだと思います。娘の部活中心の学習スタイルに付き合いつつ、時に厳 しく、時にジョークを交えて指導して下さった先生方、また、夕食を共にして励まし合ってきたお友達、本当にありがとうございました。やはり、育星舎に来て よかったと心から思います。