Sさん (2015年 京都薬科大学 薬学部 合格 京都外大西高校卒)

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私が育星舎に通い始めるきっかけは、弟が入江塾でお世話になっていたからでした。初め、個人指導を大きな教室の中で行うと聞いたので、集中できるかと心配でしたが、その懸念は杞憂に終わりました。高3生になるまで毎日机に向かう習慣がなかったのですが、塾に通うことで家に帰ってその日にやったことを見返したり宿題をすることですぐにその習慣は身に付きました。

5月頃に初めて記述模試に行きましたが、自分がどれだけ世間から引き離されているのかを思い知ることになりました。その後も、模試に行く度に志望校欄に到底行けそうにない所ばかり書いていたのもあって、DやE判定ばかりの成績表が返ってきました。

夏休みになり毎日塾と家の往復になりました。しかし、今まで勉強量が少なかったツケが回ってきただけなので、しんどいとは思いませんでした。

私は初めから行きたい学部というのが決まっておらず、文系には行きたくないとか物を作るのは嫌だとかいった完全に消去法でした。返ってきた模試の成績表を見る限り薬学部なんて絶対無理だと思っていましたが、模試の時にはいくつか判定が出るよう志望校欄に書いておくように言われました。そんな中で12月頃に返ってきた模試の成績表で1つだけA判定が出ていたことで、薬学部に進もうと決心しました。それから林部先生に近隣の薬学部のある大学を調べていただきどこの大学なら入れそうかの相談をしましたが、その当時は京都薬科大なんて夢のまた夢だし林部先生にも「無理です!」と連呼していました。

そんなある日の個人指導が始まる前、先生と願書の話になり、私は大阪薬科や京都薬科といった受かりっこないところにわざわざ出願するなんてお金がもったいないと言うと、先生から願書を出すだけなら出して受けないこともできるし、これから先の大学に入学した後の授業料などの莫大なお金のことを考えたらもったいないことはないと言われました。その一押しで京都薬科にも出してみようかなと思いだし、家に帰って親に相談すると、それはその通りだし、記念受験だと思えばいいし、まだ締切が来ていないから出したらいいよと言われ、出願することにしました。

センター試験は私立理系と的を絞っていたので、センター利用で使えればいいかな程度に考えあまり構えず受けようと思っていましたが、実際、大勢の人がいてガリガリと鉛筆の音が聞こえてくる空間で、極度に緊張し、力んでしまいました。数学が特に酷く、センターでこれだけ取れなかったということは一般入試の本番ではもっとできないのではないかと思い、家に帰って不安と恐怖で涙が止まりませんでした。しかし、終わったことをどれだけ悔やんでも時間は戻ってこないので第一志望の一般入試の赤本をバリバリ解くことで気持ちを切り替えようとしました。

しかし第一志望の入学試験当日、上がり症な私はまたもや緊張でくだらない計算ミスや式の度忘れなど些細なミスをたくさんしてしまい、これはもしかしたら駄目かもしれないと思いました。

その後、京都薬科の赤本を解いてみましたが、内容がややこしくて全然解けませんでした。そのため、京都薬科の試験当日は完全に負け戦だなと思いながら行きました。何としてもここに受かるんだという強い信念が無かったのと、センター試験が酷かったのだからあれ以上酷い点数にはならないだろうと思うと、非常に落ち着いて文章を読む事が出来ました。ですが、テストが出来たという感触はありませんでした。

(模擬試験の判定がよく、実力にみあった)第1志望の合格発表は残念ながら複数出願したものの全滅しました。ここまで支えてきてくださった先生や親に申し訳なくて泣きじゃくりました。他に受かった大学がありましたが、オープンキャンパスなどの行事に全く参加していなかったので試験当日に本校まで足を運び、これだけ遠いのはちょっと通えないななどと思っていました。また周りの先輩が浪人していい大学に入ったという話を聞いていて、「来年もう一度受ければ受かるのでは」と考え浪人しようかと悩みました。

次の日、(模擬試験の偏差値から判断すると実力からかけはなれた)京都薬科のインターネットでの合格発表がありましたが、受かっているなんて思いもしなかったので自分では確認しませんでした。すると、お母さんが「受かってる!」と叫びながら部屋に入ってきました。これは何かの間違いか冗談ではないのかと思い家にある全てのパソコンやスマートフォンを使って確認しました。その後、速達で届いた合格通知書を見て本当に受かったのだと実感しました。林部先生に解いた試験問題の冊子を見てもらいましたがちゃんと答えが合っているし間違いではないよと言われました。

今でも自分は夢の中にいるのではないかと現実味がありません。一生分の運を使い果たした気がします。先生方には沢山ご迷惑をおかけしたと思います。覚えが悪くても叱らず、何度も根気強く教えて下さったり私の事情も分かった上で指導して下さったことを大変感謝しています。あの時の先生の一押しが無ければ、今の私がありません。ありがとうございました。

Sさん (2015年 京都薬科大学 薬学部 合格 京都外大西高校卒)のお母さん

娘がVキャンパスにお世話になり始めたのは、約一年前でした。

通っている高校では、ごく基本的な内容しか習わないので、大学受験に向け、数学の個人指導をお願いする形で週一日だけ通い始め、そのうちに週二日にして英語も、そして夏頃には毎日、と徐々に通塾日数を増やしていきました。

もともと、解からない箇所を自分から質問しに行くということが性格的に難しく、大手の予備校に通うのは向かないと考えて、弟がお世話になっているVキャンパスにお願いしたのですが、娘のそういう性格や高校での学習状況など、最初に面談の時間を設けて頂き、詳しくお話させて頂けた事が、それ以後娘を指導して頂く際にも、安心してお任せできた一因だと思います。

高三になってやっと模試なども受け始め、やはり周囲より学習が足りていない状況も、否応なく認識させられました。ですが、Vキャンパスでは個人指導だったので、学校でやっていないところや、本人の弱いところを中心に、娘のペースに合わせて教えて頂き、あまり無理なく学習できたのではないでしょうか。いろいろな点で遅れをとっている事は親も分かっていましたが、毎月担当の先生から学習状況やコメントが頂けて、その時その時の状態が把握出来たので、うるさく口を出さずに見守ってやれたと思います。

はじめ、本人には大学へ行きたいという漠然とした希望しかなく、そろそろ志望校を決めなければならないという段階になっても、将来何をしたいのか、自分自身でもはっきり分からない状態でした。

一方で、模試の成績はそれ程良くなく、どこなら可能性があるかを選択するのが妥当なのでは、と思われました。

悩んだ中で少しずつはっきりした希望は、浪人はしたくないという事、家から通える大学で、可能なら薬学部へ、という事でした。

娘の実力で手の届きそうな大学はどこか、先生方のご助言を参考にして志望校を決め、一月最終週から一週間程、ほぼ毎日が受験の予定で埋まりました。

提出する願書の多さに、親子で混乱しながら何度も確認し、ようやく全て出願出来たという時に、個人指導をして頂いている先生から、大阪薬科大と京都薬科大に、願書だけでも出しておいたら、とのお話がありました。娘の実力から考えると、笑ってしまう位手の届かない大学でしたので、本人はただただ驚いて恐れをなし、躊躇していました。私も、合格するとは考えませんでしたが、この際いろいろな大学を受けて、それぞれのレベルに触れるだけでも勉強になるんじゃないかと思いましたので、先生のおっしゃる通りにしたら良いのでは、と結局願書を出しました。

大学入試において最初の関門であるセンター試験では、娘は極度の緊張と気負いで動揺してしまって、かなり不本意な出来でした。こうなると、一般入試の方で頑張るよりありません。

いよいよ試験日が続くようになると、相変わらず緊張はするものの、毎日次々とこなしていくような面もあって、少しは落ち着いて来ました。

大阪と京都の薬科大は、娘が組んだ日程の最終三日間で受験する事になっていました。そこまでは、なんとか合格しなければ、という気負いもあったようですが、最後の三日間の前夜になり、娘は「明日から負け戦に行って来るわ」と笑っていました。後になってみれば、娘には珍しい程リラックスしていた、この心理状態が、良い方に働いたと思います。

結果を待つ日々には、合格も不合格もありました。浪人しないという目標は、ひとまずクリアして、大学によって不合格だった時も、本人は落ち着いて淡々としていました。しかし、当初第一志望だった大学が不合格だと知ると、私の予想以上に落ち込んで動揺していました。

本当にそこへ行きたかったんだなあと思いましたが、本人が後に、家族にも先生方にも支援してもらったのに、それを無駄にしてしまった事が申し訳ないと伝えて来たので、この十日余りの間に、少し成長したのを感じて嬉しく思いました。

今後についても、毎日違った場所へ受験しに行く度に、他の受験生の方々の受験に対する態度とか雰囲気、大学が試験会場だった時には、その場の空気感や周囲の環境など、本人が肌でいろいろ感じるところもあって、もう一度よく考えてみたようです。

合格を頂いた大学のうち、ここならという大学は、実際に行ってみると予想以上に遠く、本当に毎日通えるんだろうかと不安になり、いっそ浪人して、第一志望の大学を再度目指そうかとまで考えていました。浪人はいやと言っていたのに、良い意味で欲が出て来た訳です。しかし浪人したからと言って、来年は合格するという保証はどこにもありません。悩みに悩んで、親子で何度も話し合いましたが、答はなかなか出せませんでした。

その翌日、もう合格発表の時間も随分過ぎてから、京都薬科大の発表があるのを思い出しました。はじめから合格出来ないと思い込んでいたのです。それでも結果は受け止めて、先生にもご報告しないと…とインターネットで調べ始めました。

期待していなかった私の目に、合格の二文字が飛びこんで来て、喜ぶよりうろたえてしまい、慌てて娘にその画面を見せに行きました。

「え、嘘!?」娘も眉間にしわを寄せて画面を見つめました。自分では、出来たという手応えもなかったようで、余計に信じられなくて、「何かの間違いじゃないの」と自分のスマホでも調べ始めました。やはり合格と出ていました。

夢にも考えていなかった結果に、じわじわと喜びと安堵がこみ上げて来ましたが、本人はいつまでも半信半疑でした。今もまだ、信じられないと言いながら、本当だとしても、入ってからついていけるんだろうかとひたすらネガティブに心配しております。

謙遜でも何でもなく、娘は数か月前には確かに合格圏内にはいなかったと思います。ただ、言われた事はきちんとやる真面目さや根気強さは、親から見てもある方ですので、先生方のご指導によって、着実に力をつけて頂いたのでしょう。それが、最後の最後で実を結んだのだと思います。

もしも、「願書だけでも出したら」と言われなかったら、こんな大逆転はありませんでした。今回、京都薬科大学に合格させて頂けた事は、娘にとっては、自分からつかみ取ったというより、何かいろいろなタイミングだったり、運だったり、ご縁だったりを与えられた印象が強いのですが、これから大学生活を送る中で、今度は自分自身で挑戦し、学び、失敗もしながら、大切なものは自らの手でつかみ取っていって欲しいと思います。

一年前には、夢にさえ見なかったような結果に導いて頂き、先生方には、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。