AFくん(2018年 神田外語大学 外国語学部 国際コミュニケーション学科 国際ビジネスキャリア専攻 合格 高槻高校卒)

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僕は中学校三年の夏から育星舎に通い始めました。その頃の僕は親にも呆れられるくらい酷い成績を出し続けていました。中学受験が終わったことで燃え尽きてしまい、中3の夏に入るまでろくに勉強したことはありませんでした。定期考査の順位は毎回最下位辺りを彷徨っていながら、まあなんとかなるだろう、とテスト期間は毎日帰ってからすぐゲームをし、テスト範囲をテスト開始10分前に友達に聞いて回るという生活を送っていました。

結果、ついたあだ名は補習王。何とも不名誉なあだ名ですが、当時の僕はそう呼ばれることになんら抵抗はありませんでした。通っていた中学校は全員が上の高校に上がれる制度だったので危機感を抱くことなどあるわけもなく、高校に入れば勉強もするのだろうと思っていました。

そんな僕が危機感を抱くきっかけとなったのが、中3の1学期の時の体育の授業です。友人が僕に「`これはペンです`って英語で言ってみろ」と言ってきました。『そんなもん楽勝やわ、なめやがって』と答えようとしていた僕はなんと「This is…」と言ったところで言葉を詰まらせてしまいました。penという単語が分からなかった訳じゃないんです。isとpenの間にaを入れるべきなのかどうかが分からなかったのです。その質問に答えることのできなかった僕はこれは流石にまずいのではないかと思い始めました。

This is a pen. もろくに答えられない中学3年生が高校に上がってからどうなるかというのは当時の僕でもなんとなく予想がつきました。その頃僕のクラスには僕と似たような成績を取っていた友人が一人いました。中3の夏から勉強を始めた僕は何とか高2の後半ごろから学校の進度についていくことができましたが、その友人は高1から高2に上がる時に単位不認定で学校を辞めてしまいました。後にその友人が京阪の駅の売店でアルバイトをしていると聞いた時に僕はもう一人の自分を見ている気がして怖くなりました。

中3の夏休みが始まってすぐにあった三者面談で担任の先生に「今のままだと高校に入ってから進級できない」と告げられ、それが契機となってその面談の数日後から同じ学校に通う友人の紹介でVキャンパスに通い始めました。

入ってすぐの頃、林部先生に中学1年生用の英語の問題集のまとめの部分を解いて自己採点してみてくれと言われ、解いて採点してみると全体の2割程しか合っていませんでした。無理もありません。当時の僕が英語の文法で理解していたのは関係代名詞でのwhoとwhichの使い分けぐらいで、学校の先生が授業中に言っていたことなどほとんど理解できず、並び替え問題などは適当に並び替えて読んでみて違和感がなければそれでよしという答え方をしていたくらいです。

数学に関しても同じくらい酷く、先生に「何年かに一度のやばいやつ」と言われたことを覚えています(笑)。中3の夏休みは入塾した翌日から通いつめました。英語は中3の二学期が終わるまでにとりあえず中学2年までの文法を抑え、単語力も少しずつ付けていき、高1を経て高2になってくると授業の内容が分かるようになっていました。昔の自分からすれば考えられないことです。先生の言っていることが分かると何だか楽しく感じられるようになりそこからさらに成績が上がっていきました。

英語に関して言えば、学年最下位近くにいたのが最終的には学年でも上位に食い込めるようになりました。やはり、中3でも基礎中の基礎から始めたのが良かったのだと思います。数学は学校の進度がかなり早かったのでかなり苦労しましたが、高3に入ってから問題集を3周し基礎を徹底的にやりこんでいくとセンター試験では1Aでは過去最高の92点を取ることができました。何年生になっても最初からやるというのはやはり抵抗はありますがとても大事なことだと思います。

センター試験が近づくにつれて自ら主体的に学ぶようになっていき、さらに理解を深めることができました。自己採点で何度もショックを受けましたが、その度に林部先生に励ましてもらいました。

林部先生には勉強のこと以外でもいろんな話を聞いてもらいました。日々の受験生活で溜まるストレスを貯めることなくその都度聞いてもらえたのは今振り返ると本当にありがたいことでした。

センター試験が終わった後「数学の解答を一部シャーペンでマークしてしまったのですが大丈夫でしょうか」などと些細なことで不安になり続けていた僕に「大丈夫」と声をかけてもらいました。もちろん、他の講師の方々やバイトで来ていた方々にも度々声をかけてもらいました。「今日学校でこんな事があった」「模試でこれくらいの成績が取れた」などと指導が終わった後に話すのは苦しい受験生活の中での楽しみのひとつでもありました。

個人的に育星舎はあまり塾という感じではありませんでした。(もちろんいい意味で)中学受験のとき通っていた塾はかなり厳しいところで、中学受験の後もうあんな苦しい生活はしたくないとの思いから塾に行くことを避け続けていました。その時僕の頭の中にあった塾のイメージは学校の後ハイレベルな時間の長い授業を受け、膨大な量の宿題をこなさなければいけないというものでしたが、育星舎は別段長い授業があるわけでもなく、行く時間も特に指定はなく、自分が満足できたら帰ってよく、好きに自習ができ、習う内容が学校の進度に合わせているので宿題もそこまで苦にならないような場所で僕にとっては塾というよりは勉強空間というイメージが強かったです。

僕は自分の家ではなかなか勉強できなかったので、学校以外で勉強できる場所といえば塾だけでした。なので今日は行きたくないなどと思ったことは一度もありません。これは本当です(笑)。育星舎は割と自由なイメージがあるので寝たりし続けていると行く意味があまりありませんが、活用の仕方によってはとても良い場所だと思っています。そして僕にとってはこの育星舎のスタイルが最適でした。入塾があと数ヶ月でも遅ければ現役で合格することは不可能だったように思えます。

これまでの約3年半本当にお世話になりました。この3年半で教えて頂いた全ての先生方にこの場を借りて御礼申し上げます。大学では中学の時と同じ轍を踏まないようにこれまでと変わらず自分の夢を叶えられるように努力し続けようと思います。本当にありがとうございました。

AFくん(神田外語大学 外国語学部 国際コミュニケーション学科 国際ビジネスキャリア専攻 合格 高槻高校卒)のお母さん

息子は自ら考えた志望校の学科試験に合格することが出来ました。第一志望校は二次試験の身体検査、適性検査で残念ながら不合格になりましたが春からは第二志望校に進学します。

育星舎の林部先生をはじめ先生方には本当にお世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。

息子が育星舎の扉を叩いたのは忘れもしない中三の夏です。学校の個人面談で担任から「お子様は高校に進学してもついていけないので個別の塾に通って下さい。」と、言われすぐに育星舎に走りました。中学受験の時から気になっていた塾でした。通い出してから息子は自分がまずい状況にいる事に気付き、何とか変わらなければと思った時から変わりました。

林部先生がいつも息子の話をよく聞いて下さり、息子も親以外の大人で信頼して話せる人が近くにいてとても心強かったようです。林部先生からの月一回のコメントは息子の今の状況、考えなどよくわかり毎回感謝の気持ちで読んでおりました。

塾の先生方皆さんは誠実に一歩ずつコツコツと基本から教えてくださいました。

この春からは次男がお世話になります。次男を心配した兄が育星舎の話をよくしておりました。今後もどうぞよろしくお願い致します。