E君(2011年 京都府立医科大学 医学部 医学科 合格 堀川高校卒)

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入学手続きも無事に終わり、入学式を待つだけとなった。

もちろんそのために勉強もしてきたし、自分なりの自信も身に付けた。

しかしまだ実感がない。中学生の頃の僕は、高い山ほど登りがいがあると考えていた。

だから難関と言われる高校に入った時、それだけでテンションが上がったが、今は違う。

大学受験を通して、山に登ったことで何を得るか、そして何をするかを考えるようになった。

結果も大事だったが、本当に良い経験をした。

そんな経験を振り返ってみる。

堀川高校に入学してすぐ、担任の先生から「塾には行かなくていいから」と言われた。

僕は高校生活とVキャンパスをセットで考えていたので、Vキャンパスは、自主・自立の学習を大事にしていること、自分のペースで各々の課題をできること、疑問にはその場で答えてもらえることなどを説明した。

そうしたところ「そういう塾なら行きなさい。」と言われた。

たいていの塾や予備校は、それぞれ課題・宿題が多く、学校の学習との両立が困難らしい。

しかも大人数で僕には落ち着いて学習できる環境とは言えない。

学校とVキャンパス

こうして僕の受験生生活は最強のものになると思った。

だが、敵は自分の中にいた。

簡単に言うと、本気で勉強する気になれなかった。

学校の友人はみんな天才か?と思うほど優秀だったし、何でもそつなくこなす。

そんな中にいると、頑張るのが普通だと思うが、なぜだか反発してしまった。

それでも塾にはしっかり通ったし、自分なりには最低限の学習習慣はつないだ。

定期テストも模試も悪かった。

勉強していないから・・・と親にも自分にも言い訳をした。

林部先生には恥ずかしい気もしたが、学校の先生や母のように痛いところを突いてくるようなことはされなかったので、正直になれたと思う。

いつも「やってないんだから仕方ないよ」と励ましてもらった。

全然出来ない問題があっても「こんなの出来なくていいよ」と言ってもらった。

もし「こんなのが出来なくてどうする!」などと言われていたら、僕はダメになっていただろう。

勉強以外でも、本当は叱られても仕方ないことはあったと思う。

だが林部先生は、そんなことで僕や母を注意するようなことを一切しなかった。

先生は些細なことにこだわらず、いつも大きな心で接してくれた。

そして何より先生のすごいところは、どんな問題でも、必ず自分で解いてみせてくれた。

僕は、自分が尊敬出来る大人しか信用しない。

そしてそんな大人は残念ながらあまりいない。

でも林部先生は尊敬できる先生だ。

ちなみにVキャンパスの他の先生も、頼りになる、分かりやすい指導をしてくれる先生ばかりだ。

そんな先生方に囲まれて、僕も少しずつペースを上げていった。

9月の文化祭が終わり、いよいよ本気を出さないといけないと覚悟を決めて、やっと本格的に受験生となった。

それからは毎日夜遅くまで塾に残った。

12時近くなったこともあったが、先生はいつも最後まで付き合ってくれた。

先生の都合で「早く帰れ」と言われたことは一度もない。

体調のことも気遣ってもらった。

睡眠時間を確保すること、生活のリズムを正しくすることなど繰り返しアドバイスしてもらった。

あまり言うことは聞かなかったが・・・。

基本的に自由に勉強させてもらった。

僕が頑固でマイペースなことは先生は分かっていて、要所要所を押さえながら好きにさせてくれたのだと思う。

初めてA判定を出した時「(合格が)見えてきたな」と言ってもらった。

すごく心強かった。

不安になった時は、その言葉を思い出した。

だからセンター試験も、あまり緊張しなかった。

それまでセンターで9割とるのはバケモノだけだと思ってきたが、おかげで達成できた。

2次もこの勢いでいけると思った。

今から思うと、勉強をやりこんだ自信があったからそんな考えを持てたのだろう。

発表までとても長く感じた。

いろいろなことを考えて、もしかしたらもう1年Vキャンパスで勉強するのか?とも思った。

でもこうして合格できた。

僕が進んだ学部は、将来の職業に直結している。

人としてまだまだ勉強だが、Vキャンパスでの頑張りを忘れない。

先生、本当にお世話になりました。ありがとうございます。

大学に入ったら、しばらくは花園学舎に通います。

府立体育館の隣ですから、またお会いするかと思います。その時はよろしくお願いします。

E君(2011年 京都府立医科大学 医学部 医学科 合格 堀川高校卒)のお母さん

「ボク、びょういんのせんせぇになるの」と3歳にもならない息子が言った時から、「いつかはきっと」と願ってきましたが、こうして合格証を手にした今、喜びよりもその事実があまりに重すぎて怖さすら感じています。当然のことながらこの合格は、息子ひとりの力で叶ったものではなく、多くの先生方やお友達に引っ張り上げていただいたおかげです。特にVキャンパスの林部先生には、本当にお世話になりました。

息子と林部先生との出会いは、中学3年生の時です。最初は他部門でお世話になるつもりでしたが、進路などの関係からVキャンパスに行くことになりました。

息子は、塾というものに通うのも初めてでしたし、そもそも塾などを信じていない子でした。けれど林部先生は子供の心を掴むのがお上手で、たった1回の体験指導ですっかり林部っ子になりました。先生の勧めで高校も、それまで興味のなかった堀川高校へと大きく志望を変えました。「堀川なんて」から「絶対堀川に行く」になったのには驚きました。そして無事堀川高校に入学することができ、あとは医学部合格に向かってひた走るだけでした。

ところが実際は違いました。学校が望む量の勉強をしなくなったのです。本人は「燃える気持ちが無い」などと言っていましたが、要するに勉強以外に楽しいものをいっぱい見つけたのでしょう。1・2年の担任の先生からは「君が医学部に受かったらまさに『堀川の奇跡』や!」と言われましたし、「みんながどれ程努力しているのか分かっているのか?」とも言われました。でもなかなか気持ちが勉強に向きません。そんな時でも林部先生は「学校はうるさいですね。」と言って、子供をかばって下さいました。わたしもいつも先生に愚痴っていたのですが、ただただ黙って聞いて下さいました。ただVキャンパスにはずっと通っていましたので、その時間だけは確かに勉強していました。だから先生は信じていて下さったのかも知れません。結局受験生らしくなったのは高3の夏からでした。

それからは毎日遅くまでVキャンパスで頑張りました。英単語の習得、古典の特訓、化学の個人指導など、苦手や穴を次々無くしていただきました。秋になる頃には、模試も少しずつ結果が出てきました。それでも判定はなかなかCを抜け出せませんでした。でも先生はいつも子供の良かったところを見つけ、褒めて下さいました。それが心地よいらしく、息子はどんな点数でも先生に見せていました。

一度得意の現代文で自己ワーストを取ったことがあり、母子で「さすがに怒られるよね。」と覚悟していましたが、「これ以上悪くなることはないからよかったね。」と言われた時には、感動してしまいました。親には言えないせりふです。本当にありがたく思いました。     

そして初冬には念願のA判定。大はしゃぎする私に「お母さん、そんなに甘くないよ」と冷静な息子。しっかり勉強してきたからこそ浮かれることなく、現実を見ることができたのでしょう。後に先生は、この時に合格を確信したとおっしゃいました。

いよいよセンター目前の冬休みにはこんなこともありました。いつものように塾に行った息子が、険しい顔をしてすぐに戻ってきました。「満員で席がない・・・。勉強できない。」明らかに動揺していました。「先生は何て?気がついてはるの!?」「分からん・・・どうしよう」センターが迫った子が勉強できないなんて・・・どうして?

そこに先生から連絡がきました。「満員だから帰ってしまったんですね。席が空きましたからすぐに来てください。」息子は一瞬教室をのぞいただけなのに、先生は他の生徒さんを指導中だったのに。気づいて下さっていたのです。本当にずっと先生を信じてきてよかったと思えた出来事でした。

そしてセンター。8割5分以上の得点を目指していましたが、なんと9割に届きました。学校での面談の結果、前期日程は第一志望の府立医大、後期日程は2次試験が面接のみの広島大医学部に出願することに決まりました。「前期で決めてきてや」とおっしゃる担任の先生の口からは、もう『奇跡』という言葉は聞かれませんでした。

1・2年の頃の先生からも「頑張りましたね」「力つけましたね。」と言っていただきました。

ところが喜んだのもつかの間、わたしの目には、息子がだらけてきたように見えました。そしてついには中学時代の友達と、夜遊びに出掛けてしまったのです。「林部先生には内緒にして。」と言うのを無視して、わたしはすぐに先生に言いつけました。次の日、塾から帰って来て「あんなに怖い林部先生初めて見た。ものすごく怒られた!」としょんぼりしていました。「もうしません。」と約束してくれました。先生は息子のために怒って下さる、数少ない大人のおひとりです。

その日以来、センター直前同様に勉強するようになりました。ですから2次は自信を持って臨めたと思います。それでも結果が出るまではとても不安でしたが、先生の「受かっていると思いますよ」の言葉に、ずいぶん励まされました。そして今日、合格させていただくことが出来ました。

親として、辛い時、苦しい時もありましたが、先生に助けていただきながら耐えてきて、心からよかったと思えます。息子もくじけず頑張りました。先生、本当に本当にありがとうございました。これからも息子の(少しはわたしの)良き相談相手でいてやって下さい。お願いします。